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『Molyneux's Problem​』

 「潮の満ち引きは、何故起こるのか」という疑問に対する、「月の引力によって起こる」という回答。この回答自体に僕は少しの興味もない。僕たちにとって興味深いのは、回答が示されたにも関わらず、「月の引力によって潮の満ち引きが起こる」という壮大なストーリーを前にしてなおも残り続ける不思議さであり、釈然としない僕たちのこの感覚である。もしくは、潮の満ち引きを不思議に思い、仕組みを解き明かしたいと思う僕たちの好奇心そのものが興味深い。よって解決済みの問題に対しての興味は、その回答ではない。僕たちの興味は、問題の前提であり、回答の後に何が残ったのか、という点にある。

 

 モリニュクス問題、という解決済みの問題が、歴史の中に埋もれている。「解決済み」とラベリングされた堆積物の中から、無理矢理にモリニュクス問題を掘り起こそうと思う。まさに掘り起こそうとするこの現在において、どのような問題がその上に堆積されていたか、また、どのような前提がその下に堆積しているのか、といったことを、同時に掘り起こそう。

 

 18世紀。モリニュクス問題は、18世紀の哲学界を多いに賑わせていた。当時の哲学の主題は、人間の認識方法であった。デカルトに始まり、マールブランシュ、ロック、ライプニッツ、バークリ、ヴォルテール、コンディヤック、ディドロ、ビュフォンといった蒼々たる顔ぶれが、人間の認知方法を巡り、様々な見解を闘わせていた。モリニュクス問題は、そんな主題の一つである。モリニュクス問題の内容をまだ明かしていなかったと思う。モリニュクス問題は一種の思考実験である。

「 生まれつきの盲人が今は成人して、同じ金属のほぼ同じ大きさの立方体と球体を触覚で区別することを教わり、それぞれに触れるとき、どちらが立方体で、どちらが球体かを告げるようになったとしよう。それから、テーブルの上に立方体と球体を置いて、盲人が見えるようになったとしよう。問い。盲人は見える今、触れる前に視覚で区別でき、とちらが球体で、どちらが立方体かを言えるか。」

これがモリニュクスの提出した問題だ。

 

 18世紀の認識哲学は、17世紀のデカルトを基礎としている。デカルトは「目の中の松果体に、魂を見るという機能がある」と主張した。(『方法序説』1673)だから視覚は何にも増して本質を捉えることが出来ると考えたわけだ。同じ時代、デカルトの弟子であったマールブランシュは、弟子であったにも関わらず、この視覚の優位性に対する懐疑を示す。視覚だけでは、物の大きさや距離は捉えることができないと主張したのだ。(『真理の探究』1674)

 さて、そこからわずか10年で、魂などというものにある種の懐疑的な見方が生じてくる。そもそもデカルトは、すべてを懐疑したその中心人物ではなかったか。経験主義の立場をとるロックは、『人間知性論』の中で、「すべての認識は、経験通じて行われる。経験していないものは、認識できない。」と主張する。(1689)ここでモリニュクスが先ほどの思考実験をロックに投げかけるというわけだ。1703年のことである。もちろんロックは、視覚経験がないために、開眼した元盲人は球と立方体を区別出来ない、主張する。この見解に猛反発したのが、単子論者、ライプニッツである。ライプニッツはロックの人間知性論をひきながら、『人間知性新論』を書き上げる。ここでモリニュクス問題に触れている。ライプニッツは、球や立方体を、人間の原知性であると考えた。人間は球や立方体の経験を通じて、それを認識するのではなく、そもそも球や立方体をもともと知っている。と考えたのだ。だから盲人は、目が見えようと見えまいと、純粋な幾何学形態ならば認識できると主張する。(1703)ただし、人間知性新論は出版されることはなかった。

 出版されることはなかったのだから、ライプニッツの見解を知らないでいただろうが、バークリーはライプニッツと逆の見解をとる。ロックと似たような立場から、元盲人は球と立方体を区別出来ないという見解をとる。ただし、バークリは、「言葉と感覚が結びつかないため認識できない」という、ロックとは少し異なった考え方をする。盲人は、触覚によって球と立方体を区別していた。触覚の違いを「球」と「立方体」という言葉の違いに当てはめていた。バークリーは、「感覚が言葉にならない限り、認識することは出来ない」という立場を取るのだ。(『視覚新論』1709)この指摘は興味深い。例えば、我々は葉と茎の違いを知っている。葉と茎という言葉が違うことを知っていて、なおかつ葉と茎という言葉が差すものの違いも知っている。けれども、葉と茎の間、葉と茎の接合部を知っているのだろうか。なんとなしに植物を見て、葉と茎の接合部を意識する人がどれだけいるのだろうか。葉と茎の接合部は葉柄という名前がついている。けれども、専門家でもない限り、誰も葉柄なんて言葉は知らないだろう。言葉を知らないために、我々は葉と茎の接合部を意識しないのだ。植物にとって葉と茎の接合部・葉柄は、葉と茎と同じ価値を持っているのだろう。葉柄がなければ葉と茎をつなぎあわせることができない。しかし言葉とは、本来同価値なものに、価値の優劣をつける。葉柄は、「言葉が一般的でない」という、ただそれだけの理由で、気にも止められない。

 

 さて。モリニュクス問題の役者は出そろった。1728年に、チェセルダンという医師が、先天性白内障患者の手術に成功した。結局元盲人は、球と立方体の区別がつかなかった。彼の視覚は非常にぼんやりとしており、ただなんとない色のまとまりが空中を飛んでいるだけだ、と表現した。ことモリニュクス問題においては、ロックとバークリーに軍配が上がった。その後、ヴォルテールがロックの説を支持したり(『ニュートン哲学要綱』1783)コンディヤックが、視力が鍛えられさえすれば、二つの形態の違いを認めることが出来るのではないか、と主張したりした。(『人間認識の起源に関する試論』1746)ビュフォンは『博物誌』でロックと後に説明するディドロの見解を支持しているし(1749)、コンディヤックも『感覚論』で、自分の主張を破棄し、ディドロの見解を支持している(1754)。が、興味はそんな学説じみたところにはない。ヴォルテールとビュフォンは思考停止だし、コンディヤックは当たり前のことを言っているに過ぎない。バークリーの鋭さの前では、二人とも無価値だ。

 

 次の興味の対象は、ディドロだ。1749年に、ヒルマーという医師が、先天的に全盲な自分の娘の開眼手術を行った。ディドロは、包帯を取る瞬間に是非立ち会いたいと懇願したが、ヒルマーはこれを拒否する。しかしディドロは執念深く、この娘の術後の視覚世界についての情報を得て、『盲人書簡』を出版した。これによると、幼児や盲人が視力を得ても、その見え方は不明瞭である。視力を得たばかりの人間は、我々が世界を見ているような明瞭さで世界を見ることが出来ない。実際にチェセルダンが行った開眼手術の患者は、長い間、物の大きさや距離、位置、外形までもが、判別できなかった。

 

 ディドロの盲人書簡が面白いのは、モリニュクス問題に幼児を持ち出したところだ。幼児と視覚、触覚の関係について、ヘルダーが、面白い見解を示す(『彫塑』1778)。ヘルダーにおいて、デカルトから始まり、ディドロへと至る、認識についての一連の「直線」が姿を現す。彼には期待して欲しい。ヘルダーは、モリニュクス問題を考える際の登場人物として、元盲人ではなく、幼児を登場させる。それも、モリニュクス問題はとうにケリがついたという時制に。彼こそは、我々が敬愛する、モリニュクス問題の発掘者だ。後だし、と言えばそれまでだが、潮の満ち引きが月の引力に起因する、と聞いて、なおも不思議がることの出来る希有な人物である。

 ヘルダーは、触覚を、その他の感覚の共通感覚だと主張する。ちなみに共通感覚とは、共感覚とは異なる。共通感覚とは、すべての感覚の基礎であるという。ヘルダーは、幼児が月に手を伸ばすことに着目した。幼児は、月の手触りを確かめようとしているという。なるほど、確かに幼児は我々大人に比べて、物をよく触る。触るということが、不安定な視覚を補うという。距離も大きさも位置も外形も判別のつかなかった、チェセルダンの患者を考えれば、物を認識するということにおいて、確かに触覚は視覚に対して優位性をもつのだろう。もちろんある段階までは、という限定つきではあるが。いや、もしかしたら成人してもなお、触覚というのは我々の共通感覚なのかも知れない。これを説明するために、ヘルダーは次のように言う。「彫刻を見ている人間は、姿勢を低くしその周りをウロウロとふらつきながら、まさになめる様にして見る。」なるほど、なめるという感覚も確かに触覚であろう。未知のものを見つけるたびに、 成人した人間はそれに触れようとする。もしくは、触れることから避け、言葉をつける。未知な物の恐怖から逃れるために、言葉でもって対抗しようとする。言葉と視覚は、物を敬遠がちに理解するための最もよい方法だ。一方物を触るということは、何かを理解したいという、人間の根源的な欲求の現れということが出来るだろう。

 確かに、誰かに好意を抱くと、まず人間は触ろうとするのではないか。好意とは興味であり、興味とは理解したい、という欲求から来る。触れたい、というのは、真に理解したい、と根源的に欲求することに他ならない。触れることによって、さらに言うならば徹底的に触れることによって、恋人達はお互いを理解しようと努めるのだ。接吻は粘液に触れ合うことだし、性交は最も敏感な部分に意識を集中させ、全感覚を触覚に変えることだ。触覚はやがて、言うも難い快感へと姿を変える。たった一部の触覚が、全意識を捨て去り、我々を不条理なまでに蝕んでいく。それが、相互理解に繋がっていくというのが面白い。彫刻を舐め回すように見るあの鑑賞者は、触れるという方法を取り上げられたからこそ、視覚を出来るだけ触覚に近づけて鑑賞するのだ。

 

 また、触れるというのは、「触れたものを理解したい」という欲求も連れてくる。外人がとりあえず握手を求めるのは、触れることで相手を理解したいという欲求を、自分の中から導く方法に他ならない。フォンタナが、キャンバスを切り裂いたのも、張力に触れたいからだったに違いない。張力に、ひとまず触れることで、「張力とは何か」と理解しようとしたのだろう。

 

 先ほども言ったが、言葉とは、触れることから回避するための最も効率の良い方法だ。彫刻の鑑賞者は、触れることができないために、それを言葉で代替しようとする。むしろ、触れることが出来るものは、言葉の要請から開放されると言ってもよい。沈黙せねばならない、語り得ぬものとは、触れることのできないもののことでもある。世界は事実の総体だとすれば、事実とはすべて触れることのできるものでもある。触れることの出来ない、言い換えると語り得ぬものの先にある、沈黙の先にある「空間」というものを、触れることの出来る「物質・物体」に、ただただ置き換えたに過ぎないのが建築だ。だから言葉がいつも要請される。それは、潮の満ち引きに触れても、月の引力が理解出来ないのと同じ関係にある。だから「月の引力」という言葉を要請する必要がある。我々の月と満ち引きの関係に見出す不思議な感覚は、言葉が要請されたことに起因する。物質・物体を試行錯誤しながら、空間を関係づけ、そこになおも残る不思議な感覚が建築の美しさだとする。であるならば、その美しさはどう苦心しても、言葉を要請することでしか表現出来ない。潮の満ち引きと、月の引力の組み合わせの突拍子もなさが、建築の美しさである。豪勢な素材と豪勢な空間では、美しくはならない。逆もまた然り。掘り起こしたモリニュクス問題に付着した土は、こうも建築の美しさを雄弁に説明する。

 

 全く、埋もれている回答付きの問題の多義性には、いつだって驚かされる。

→ESSEY

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