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​『谷口吉生を語る』

「語らさせられる」ことについて

 いつのことだったか、何の気なしに「殺風景」で画像検索をかけてみた。あらゆる種類の殺風景な風景の中に、法隆寺宝物館のスナップ写真が埋もれていた。谷口吉生の作品を殺風景にカテゴライズする検索AIの大胆さに奇妙な興奮を覚えつつ、「殺風景」の字義を調べるためタブを一つ追加し、お気に入りのページからデジタル大辞泉を呼び出す――。

「殺風景」
[名・形動]《「殺」は、けずる、そぐ意》
1 眺めに情趣が欠けていたり単調だったりして、見る者を楽しませないこと。また、そのさま。「殺風景な冬の浜辺」「殺風景な高速道路」
2 おもしろみも飾りけもなく、興ざめがすること。また、そのさま。無風流。


『デジタル大辞泉「殺風景」』

 なめらかな生肌の素材が生む、シンと張り詰めた空気。プレパラートの中に閉じ込められ、顕微鏡で上から覗かれている時のような背筋の張り詰めるあの感じ。谷口建築を訪れると、いつも決まって覚えるこれらの感覚。情趣に溢れ、見るものを楽しませ、興をそそられる、あの感覚――。
 しかし、そう言われてみると確かに、谷口建築は殺風景なほど、単調で飾り気がない。単調で飾り気のないこの風景が、なぜかくも情趣を駆り立てるのか。谷口吉生の作品と「殺風景」の違いについて、少し語りたいと思う。

 

 谷口建築を語る、と言ってみたが、周知の通り谷口吉生を語るのは難しい。既存の論考は印象論と一般論の域を出ない上、証言となる建築家の発言も言葉数が足りていない。(『谷口吉生のミュージアム』に掲載されたテレンス・ライリーの論考は、唯一まとまった谷口吉生論となっているが、谷口吉生をジャパニーズの建築家という文脈に乗せようとする目論見が透けており、惜しむらくはもう一歩踏み込んでもらいたいというもどかしさが残る。同じく『谷口吉生のミュージアム』に掲載された鈴木博之の論考がその点を厳しく指摘している。しかし、鈴木博之ですら印象論の域を出ない。)谷口建築を語る際の常套句として、「プロポーション」「目地」「シークエンス」「背筋が伸びる空間」などがあげられるが、この常套句が谷口建築の魅力を必要十分に語りきっているとは思えないだろう。同じ語り口で語られる建築はこの世に溢れているが、そのどれもが谷口吉生の域には達していない。
 谷口建築を訪れた時、その空間に立った時、印象をあるだけ語った後に続くはずの二の句が続かない。また、その印象を語る際に使われる言葉も、「柔らかい空間である」とか「居心地の良い空間である」など、評者が能動的に建築を評価するものは少ないように思われる。「張り詰める」「背筋が伸びる」など、評者にとっては受動的な、つまり建築が評者に何らかの働きかけを行う言葉で以って、谷口建築は語られる。正確な言葉遣いではないが、「語らさせられる」と言っても過言ではないだろう。
「語らさせられる」のであれば、谷口建築を語る上で私たちにできることは、まずは谷口建築から逃げてみることだ。谷口吉生の作品について能動的に語りたいがために、谷口建築が持ち得ない要素について語る。そうすることで、少なくとも何がそこにあるかがわかるだろう――。足がかりはそこにしかない。

装飾/物体・物質/目地

 谷口建築が持ち得ない要素について。まずは装飾について語ろう。


 「装飾を眺める時に、われわれは装飾の材質を忘れ、装飾の表面が示す表象のみに意識を注ぐ。われわれの意識は装飾の表面から奥にははいってゆかない。少なくとも、われわれが装飾を装飾として眺めるかぎりにおいてはそうである」

鈴木博之『建築の世紀末』p192

 ここで大事なのは「装飾は奥に入ってゆかない」ということだ。例えばゴシック様式の教会のガーゴイルを見る時、私たちの関心はガーゴイルの形、つまり表面がどのような形をしているかにあって、ガーゴイルが石でできていることに気をとめるものは少ない。私たちの関心はガーゴイルの表面から奥に入ってゆかないのだ。さらに突き詰めるなら、ゆかないというより、「ゆけない」という不可能性が大事である。

 次は物について。谷口建築のもつ物性について、私たちは何を語ることができるのか。おそらくなにも、語るべきところはない。だから語らねばならない。

 物という言葉のもつ、そのふやけた柔らかいひびきは、物質や物体といった言葉に変化するだけでその対象がありありと浮かび上がる。日常生活を送る上では似たような意味をもつ言葉、物/物質/物体だが、科学の世界において、物/物質/物体は厳密に使い分けられるそうだ。物質はどちらかといえば化学的な言葉で、物体は物理学的な言葉である。物質という言葉は、その物が何でできているか・どのようにできているかを私たちに問う。その物がどういう形を持ち、どのような色をして、どのような大きさなのかを問う際には物体という言葉が使われる。

 装飾と物。鈴木博之のいう、《装飾の奥の入ってゆけなさ》はつまり、「装飾は私たちに物体的な見方を強いる」ということでもある。装飾を眺めるとき私たちにとって重要なことは、石のガーゴイルはガーゴイルの姿形という物体的な性質であって、物質的な性質=ガーゴイルが石でできていることは、重要ではない。

 

 ここで少し、谷口建築に歩み寄りたい。ここでは、谷口建築の目地に着目するが、谷口建築の大きな特徴である目地がどこまでも揃うことについて語る必要はない。谷口建築の目地の特異性は、もっと他のところにある。
 そもそも規格と反復には目地がつきもので、そのスケールから構成部材の規格寸法に制限される建築ではどういうわけか、目地が物を語る。ユハ・レイヴィスカのレンガの目地は大地と建築と私たちの歩幅が常に全く別の原理でできていることをささやかに語る。[fig.1][fig.2]ルイス・I・カーンの打放コンクリートの出目地は、かつてそこに型枠があり、そして今はもうないことを語る。転写された木目よりも雄弁に、かつてそこにあった型枠のフラットさを語り、型枠のフラットさが建築の水平垂直性が担保していることを語る。[fig.3]

 建築においては、目地が建築自らを語る。

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 しかし、谷口建築の目地は、何も語らない。沈黙している。私たちは谷口建築の目地自体について語ることはできるが、谷口建築の目地が何を語っているのか、語ることはできない。壁面の石の目地は、面落ちした先に、同じ石が見えるのみである。金属の目地は3mm。3mmでは小口は愚か目地底さえ見えない。床の石にあたっては突き付けという始末だ。谷口吉生の目地は、素材の物質性を隠蔽する。
 言い換えるなら、谷口吉生の目地は素材を物体としてみせる役割を担っており、驚くことにすべてを物体化するという点において、目地は装飾と同じ構造を持つ。言い切ってしまうなら、谷口建築に物質性はない。谷口建築を語る際に頻出するプロポーションやシークエンスといった語り口も、谷口建築が物質性の側面で語ることができないことに由来する。語るはずの目地が、沈黙している――。

 谷口吉生の作品の物体性=非物質性については、先ほどのテレンス・ライリーが次のように指摘している。
 

「谷口はこう言った。「私は建築を消してしまいたい。」この発言を、建築家が無色透明な美術空間の創出を望んだと解釈する向きもあるが、もっと深い部分では、物質性から非物質性への転換という手法に根ざしているのである」

『谷口吉生のミュージアム』p36


「ミースは自らの構法的な感性にしたがって、素材独特の特性を生かして物質性を豊かに表現しようとした。……中略……これとは対照的に谷口の材料に対するこだわりは、はっきりとした特徴のないものに向かっている。豊田市美術館や東山魁夷せとうち美術館で用いられたバーモンド産の緑色のスレートには、ほとんど縞模様がなく、MoMAで使われたわずかに斑点のあるジンバブエ産の黒花崗石には全く縞模様がない。また、長野の東山魁夷館と土門拳記念館に使われた木製の床には木目がほとんどなく、カーペットにもいっさい模様がない」

『谷口吉生のミュージアム』p36


 物質は「読み代」がある分、能動的に働きかけられる。物質はその奥に豊穣な世界を孕んでいる。一方、物体は目に見えるものをそのまま見るのみであり、その先がない。その分、谷口建築を訪れた際の私たちの印象が受動的になるのだろう。読み代がない。完結している。だから谷口建築に「語らさせられる」のだ。物体を前にして、私たちの言葉はあまりに少ない。

 さて。装飾と物体と目地。もう一度鈴木博之の助けを借りよう。


「それに対して、装飾の表面性は素材そのものへの考察を拒否し、表面の処理によって寓意あるいは装飾的意図を伝達する媒体である」

鈴木博之『建築の世紀末』p194


 谷口の目地が装飾と同じ構造を持つのなら、谷口吉生は素材をすべからく物体化した「物体建築」を媒体とすることで「どのような意図を伝達」しようと言うのか。おそらくこれが、谷口建築の最も大きな神秘である。谷口建築を語るというのなら――それも能動的に語るのなら――この大きな神秘を解き明かさなくてはならない。

世界がただあることについて

 ここでは同じ機械工学科出身の建築家、ウィトゲンシュタインを補助線としたい。ウィトゲンシュタインはその論理学の功績において有名だが、建築家として、姉の住宅(ストンボロー邸)の設計・監理を行っている。ストンボロー邸の竣工はトゥーゲントハット邸と同じく1930年。コルビュジェのサヴォア邸が1931年、アドルフ・ロースのミュラー邸が1932年に竣工していることから、近代建築の萌芽が花開き始める時代の建築物であり、また、それを少し先取りしていると言ってもよい。
 ストンボロー邸も谷口建築と同じく、常套句と印象論で語られる建築の一つである。そして、これも同様に建築のスケールからは逸脱するほど精緻だ。谷口建築と同じ、「物体建築」である。
 近代建築がいわゆるマニフェストをもってそれぞれ登場した時代において、ストンボロー邸は一体何をマニフェストとしたのだろう。『論理哲学論考』の執筆が1918年、『青色本』・『茶色本』が1933年であるから、ストンボロー邸は論理哲学論考寄りの建築物と考えてよいだろう。ここではストンボロー邸が論理哲学論考の物体化だという定説を無批判に援用したい。ストンボロー邸のマニフェストは、論理哲学論考の中にあるという態度を取りたいと思う。

 人間の認識の限界は言語の限界であり、つまりそれまでの哲学が課題にしていた抽象概念の解明はすべて言語限界についての考察である、とウィトゲンシュタインは言う。だから、語りえぬことは沈黙せねばならない。語っても仕方がない――。この世界の謎(例えば時間や真理など)は、つまるところわからない。「わからないことはわからない」という子供じみた言い訳にも似た理を、最も簡素な論理で語った哲学者が、ウィトゲンシュタインである。
 ウィトゲンシュタインが語りたかったことは、この世界がただ存在している、そのことだったのだろう。


「神秘とは、世界がいかにあるかではなく、世界があるというそのことである」

L.ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』(野矢茂樹訳)岩波文庫p147 《6・44》


「この世がただある。そのことが神秘的であり、ただある世界ががいかなる世界なのかはさしあたって問題ではない」

互盛央『エスの系譜 沈黙の西洋思想史』p215


 なぜならばそれは、語りえぬことだからだ。語り得ぬことに沈黙した結果、たどり着いたのは、この世界を子供じみた感覚で、ただ不思議がる、そのような感覚だ。ひどく抽象的だが、恐らくこのようなことがストンボロー邸のマニフェストなのだろう――。そして「物体建築」の媒体する意図についても、同様のことが言える。

 思えば自然の似姿を、全くの人工物である建築に添えたのが装飾であった。装飾は物体的なものの見方を私たちに強いる。では、当の自然物を私たちがどのように見ているかというと、そのほとんどを物体的に見ているのだろう。少なくとも自然風景を見ている時、私たちはそれを極めて物体的に見ている。私たちが湖に行く時は湖をただ見つめるのみであり、森林浴に出かける時は森林そのものを眺めているだけであって、森林が何からできているか、森林の物質性についてはとりたてて気にすることはない。言い換えるなら、私たちはいつも、自然風景の表面を見ている。
 いうまでもなく、科学が発達し、物質化という近代を経て、あわや情報化に突入した現代に、自然風景を物体として眺めるなどという悠長なことは言っていられなくなるが、少なくとも最初に誕生した人類が見た世界の風景は、何もかもが物体的であったに違いない。人類はそこから言葉を用いて言分けを行い、一つひとつ物質として認識してきた。

 「この世がただある。そのことが神秘的であり、ただある世界ががいかなる世界なのかはさしあたって問題ではない」というウィトゲンシュタインの言葉は、そのスケールをうんと下げてしまえば「物をただ物体的に見ることが神秘的なのであって、そのものがいかなる物質的特性を持っているかはさしあたって問題ではない」と言い換えることが可能である。ここでも、語り得ぬものについては沈黙せねばならない。

谷口建築は、「物体建築」である。谷口吉生は、建築物を徹底的に表面化=物体化することにより、全くの人工物である建築物を、自然風景と同じ境地にまで引き上げているのだ。
 

 建築技術を駆使し、あらゆる技術をもって物質を物体化してきたモダニズムの正当な後継者である谷口吉生の建築の風景は、かつて人類が見た、未分化な世界の姿である。谷口吉生が作り出した風景は、自然風景と構造的に一致する。そもそも建築物は、地球の表面を剥がし、素材として再構成するものだとするならば、建築物とはすべからく自然の似姿である。それを悟られまいと、人類は建築物を人工物にすべく、せっせと物質化していったのだ。少なくとも近代建築運動とはそのような運動であったと記憶している。

 世界がただあることを神秘的だと思うように、建築物がただあることが神秘的である、と思わせる、その景色にはじめて到達したのが谷口吉生である。谷口吉生の建築は、物体であり、すなわち「風景」そのものである。ここでは谷口建築が自然風景であることが神秘的なのであって、谷口建築がいかなる建築であるのかはさしあたって問題ではない。
 

→ESSEY

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